ワールドメイトが支援するカンボジア24時間無料救急病院

シアヌーク病院を建設し、毎年運営費をワールドメイト会費から寄付

シアヌーク病院病院

   深見東州(半田晴久)さんがポルポト派によるホロコースト(大虐殺)の痕跡に苦しむカンボジアの現状を知ったのが、1994年のことだったそうです。元ニューズウィーク東京支局長のバーナード・クリッシャー氏と出会い、「いま、地上でチャリティを最も必要としてるのが、カンボジアである」というクリッシャー氏の訴えを聞いたのです。

 

 

 バーナード・クリッシャー氏によると、深見東州(半田晴久)氏より、日本人の慣習や行動に多大な影響を及ぼしてる神道本来の普遍的で寛容な特質や、人類愛にもとづいた充実した人生の追求、今ではブラインドゴルフの父と慕われるようになった福祉活動などの様々なアイデアを聞いてるうちに、なにか相通じるものを感じたそうです。

 

 

 バーナード・クリッシャー氏は、かねがねカンボジアに、近代的な病院を建設したいという悲願があり、それを深見東州(半田晴久)さんに相談したところ、深見東州さんがその構想に賛成したそうです。

 

 

シアヌーク病院

   その後、深見東州(半田晴久)さんは、実際に、カンボジアに足を運び、実現可能かどうかを確かめました。そこで、いかなる人でも、いつでも無料で医療診断を受けることができ、無料で投薬もしてもらえるという夢の24時間無料診療の病院を建設することを、深見東州(半田晴久)さんは決断したのです。

 

 

 1994年から1995年にかけて、深見東州(半田晴久)さんは、カンボジアへ二度訪問し、ひとたび病魔に襲われれば、なんらの医療も受けられずに死を待つしかない悲惨な貧困層の実態を目の当たりにしたそうです。その結果、「無料救急病院建設は、どんなことがあってもやり遂げねばならない。やるんだったら永続的に本格的にやらねばならない。」と決断したといいます。

 

 

 深見東州(半田晴久)さんの決断を、ワールドメイトは正式に、カンボジア政府の外務大臣や厚生大臣、そして当時のラナリット首相やシアヌーク国王に連絡したそうです。すると、カンボジア政府は、無料救急病院建設のための土地を無償で提供してくれることを約束してくれたのです。

 

 

 深見東州(半田晴久)さんに賛同する多くのワールドメイト会員からも、多くの浄財が集まり、病院の建設や医療機器の購入がすすめられました。